1970年に大阪府吹田市で行われた日本万国博覧会、通称大阪万博。
大阪府吹田市では万博が行われた会場跡地を万博記念公園として、現在でもイベント開催やスポーツ大会の開催、公園利用など多くの人に利用されています。
大阪万博の象徴でもある太陽の塔は、今でも大阪の観光スポットとして人気を集め続けていることで有名でしょう。
ここでは大阪で行われた日本万国博覧会の概要、太陽の塔に込められたメッセージについて細かく説明します。
また日本万国博覧会の跡地でもある、日本万国博覧会記念公園の特徴も紹介していきます。
\お気軽にご相談ください!/
弊社へのお問い合わせはこちら吹田市で開催した日本万国博覧会とは
1970年(昭和45年)に行われた日本万国博覧会。
日本在住の人はもちろんのこと、世界中の人が日本万国博覧会のために大阪へ訪れました。
自国の出展を観覧したいという気持ちはもちろん、万国博覧会という数多くの国が出展している場の雰囲気を楽しみたい、グルメに興味がある人など多くの人で賑わいました。
万国博覧会とはどのような趣旨のイベントなのか、当時吹田市で行われた日本万国博覧会はどのような反響があったのか見ていきましょう。
万国博覧会とは
万国博覧会は国際博覧会とも呼ばれ、複数の国が参加する博覧会です。
各国の展示、ライブショー、ワークショップなどを見たり体験することがでる世界最大の集会所と言われています。
世界各地で開催される万国博覧会は、国際博覧会条約を基準にして博覧会事務所(BIE)から登録、認定されたイベントです。
「万博」と呼ばれているため日本が主体のイベントと思う人もいるかもしれませんが、博覧会事務所の本部はフランスのパリにあります。
日本で行われた万国博覧会の歴史
日本では大阪府吹田市で行われた日本万国博覧会(大阪万博)だけでなく、他にも多くの博覧会を開催してきました。
●日本万国博覧会(大阪万博)
●沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)
●国際科学技術博覧会(つくば博)
●国際花と緑の博覧会(大阪花博)
●2005年日本国際博覧会(愛・地球博)
そのなかでも大阪万博は日本開催第1号ということもあり、多くの注目を集めました。
大阪万博の成功があったからこそ、沖縄や筑波などの次の開催に繋がったと言えるでしょう。
次回の日本開催の予定は、2025年の日本国際博覧会があります。
1970年の日本万国博覧会と同じく大阪で行われる予定です。
名称類似の困惑を避けるため、1970年に吹田市で開催されたものは大阪万博、2025年に開催予定のものは大阪・関西万博と呼ばれています。
大阪万博が開催された当時の様子
吹田市で開催された大阪万博は日本初、そしてアジアで第1回目の開催ということもあり、とても盛り上がりました。
この大阪万博には77の国が参加、来場人数も約6,421万人と大きなイベントとして成功しています。
来場人数としては1970年当時の時点で過去最多を更新し、2010年の上海万博の来場人数が上回るまで記録を残し続けました。
現在では一般的になっている歩く歩道や電気自動車、ファミリーレストランなどはこの大阪万博で初めて登場しています。
その他にも電波時計、タイムカプセル、コーヒー味ソフトクリームなどが大阪万博を機に世間に普及し、多くの反響を集めました。
イベントとして開催しているだけでなく、新しい技術やサービスなど発表、普及することに役立っていることが分かります。
おすすめ物件情報|吹田市の物件一覧
吹田市で行われた日本万国博覧会のシンボルタワー太陽の塔
大阪万博で大きな注目を集めたシンボルタワーの「太陽の塔」。
芸術家の岡本太郎さんが制作した建造物として有名になりました。
独創的な見た目、佇まいはもちろんのこと、その大きな存在感に圧倒された人は多いでしょう。
一度見たら忘れられない、そんな印象的なタワーです。
太陽の塔に込められた想い
4つの顔を持ち、「黄金の顔」「太陽の顔」「黒い太陽」そして現在行方不明の「地底の太陽」があります。
4つの中で1番有名なのは現在の象徴でもある正面の「太陽の顔」でしょう。
「地底の太陽」は万博終了後から現在まで行方不明なため、大阪万博開催時に見られた人はかなり貴重な経験をしたと言えます。
カラスを模していると言われ、高さ70mの塔の内部には45mの「生命の樹」と呼ばれる展示物が置かれています。
生命の樹は生命進化の過去、現在、未来の世界が飾られています。
「生命の樹」は名前のとおり生命を支える象徴、そして力強さが表現されている作品です。
単細胞生物から人類誕生まで模型を使って展示してあったこともあり、子どもの勉強の一環としても役立ちました。
華やかで目を引く太陽の塔は大阪万博の象徴として多くの人の記憶に刻まれ、今でも愛される建造物として有名です。
太陽の塔は撤去される予定だった
実は太陽の塔は、大阪万博終了後に撤去される予定でした。
しかし、撤去を反対する人が多く、撤去反対の署名が多く集まったため1975年に永久保存されることが決まりました。
永久保存するにあたり維持や管理のために、現在でも改修や補強が繰り返されています。
2020年には国の登録有形文化財にも登録され、大阪の有名観光スポットとして再度世間に名前を広めました。
おすすめ物件情報|吹田市の物件一覧
吹田市で開催した日本万国博覧会の跡地は記念公園に
日本万国博覧会が開催された跡地は、現在は万博記念公園として解放されています。
見られることはもちろん、スポーツやレジャー、宿泊も可能です。
「緑に包まれた文化公園」と言われているだけあり、芝生や庭園、里山など多くの自然に触れ合える施設のため、子ども連れの家族にも人気のスポットです。
記念公園でできること
公園という名前がついていることもあり、芝生や庭園はもちろん、アスレチックなどの遊具も設置されています。
普通の公園と異なる点として、MORICARA(モリカラ)という自然観察学習館の存在があります。
遊ぶこと、学ぶこと、憩い、つながりを通じて森の魅力を体験できる施設です。
他にも、スポーツのための施設も多く点在しています。
テニスコートを始め、フットサルコート、万博記念競技場まで併設されています。
万博記念競技場は、日本陸上競技連盟第2種公認の陸上競技場として有名でしょう。
学校などの団体利用はもちろん個人の利用も可能なため、多くの人が利用しています。
万博記念公園へのアクセス
万博公園の所在地は、大阪府吹田市千里万博公園1-1と覚えやすい住所です。
車で向かう場合は駐車場が複数あるため、ナビの設定を間違えないように気を付けましょう。
●東駐車場
●南駐車場
●中央駐車場
●西駐車場
●日本庭園前駐車場
●EXPOCITY
車以外のアクセスとしては大阪モノレール、バスがあります。
大阪モノレールを利用する場合は、万博記念公園駅か公園東口駅を降りると目の前にあります。
バスを利用する場合は阪急バス、近鉄バスが運航しています。
おすすめ物件情報|吹田市の物件一覧
まとめ
いかがでしたでしょうか。
吹田市で行われた日本万国博覧会は、日本はもちろんアジアの歴史的なイベントとして名前を轟かせました。
シンボルツリーとして有名な太陽の塔は、多くの人に愛されて現在でも有名な観光スポットです。
万博後に撤去反対運動が起こらなければ無くなっていたかもしれないと思うと、反対署名に協力した人たちに感謝するべきと言えるでしょう。
記念公園になった今でも多くの人に愛されるのは、日本万国博覧会の成功があるからです。
約50年前から愛され続けている日本万国博覧会、そして記念公園にぜひ足を運んでみてください。
\お気軽にご相談ください!/
弊社へのお問い合わせはこちら